例えあなたがどんなにお金持ちでも、墓場にお金を持って行くことはできない。
ましてや、あの世に持って行ったとしても、お金は使えないだろう。
この世は物質の世界だから、お金が必要である。
あの世は精神の世界だから、お金は必要ない。
単純明快な話だ。
死んだ人と話をした人はいない。
まさに死人に口なしである。
では、死者との交流はできないのだろうか。
霊媒師という人がいる。恐山のイタコもいる。果たして、本当に死者との会話が成立しているのだろうか。ちょっと疑問符がついてしまう。
ところで、ボク自身の体験からすれば、死者には言語によるコミュニケーション能力はないような気がする。感覚的なものだけれど。死んだ人と話せるものなら話してみたいのだが、正確に言葉を伝え合うことはできないと思っている。でも、ある種の感情は伝え合うことが可能なのではないかと思っている。
一番伝わる感情は、感謝である。
感謝の気持ちは、死者に伝わるような気がするのだ。毎日、ボクは仏壇に感謝の気持ちを込めて手を合わせている。時々、伝わっているなと思う時がある。
逆に死者からの感情は何があるだろうか。
一番多いのは、寂しさの感情だと思う。
かれこれ、10年近く前のことだが、ボクが不動産投資をすることになったきっかけを与えてくれた叔母がなくなった。
幼い頃に父を亡くしたボクのことを叔母はいつも心配してくれていた。不動産投資を始めようかどうか迷ったいたボクに「男なんだから、勇気を持ってやりなさいよ。」と叔母は背中を押してくれたのだ。そのおかげで、ボクは不動産投資家として生活することができるようになった。
叔母が亡くなってしばらく経ってからのことだ。自宅の書斎の椅子の背もたれに寄りかかってうとうとしていたある日のことである。何者かがボクの体の中に入ってきたのがはっきりとわかった。最初は誰だかわからなかったけど、すぐにそれが叔母だとわかった。そして、その時の叔母の感情が痛いほどボクに伝わったのだ。その感情は、「寂しい。」である。
他にも死んだ人が夢に出てくることがある。むしろ、よくあることに思う。
でも、それは夢は夢であり、死んだ人そのものが現れているのではない。
そのことがわかっていても、夢で会えると嬉しい。
さて、今日の本題である「人は死んだらどこに行くのだろう」だが、どこにも行かない。ずっと、愛する家族、あなたのそばにいる。ボクは、そう信じている。
今日も、お読みいただきまして、ありがとうございました。