死別母子家庭の終焉

今日は、ボクの生い立ちから書こうと思う。

 

僕が1歳の時に父が事故で死んだ。28歳だった。

 

それから母は再婚せずに生涯を終えた。長い母子家庭生活だった。再婚して継父ができたら子どもが不憫だろうと、母は再婚しなかった。男性の気配もなかった。晩年は認知症になってしまったけど、それでも母は父のことを最後まで覚えていた。

 

母が亡くなる2年ほど前に一時危篤状態に陥ったことがある。食事を受け付けなくなってしまったのだ。毎日、ボクは仏壇の父にお願いした。「お母さんをまだ連れて行かないで。」泣きながら、父にすがった。

 

当時、母はある病院に入院していた。ボクは可能な限り病院に通い、母を看病した。2週間ほどして奇跡が起こった。母の体調が回復したのだ。再び自分で食事を摂れるようになった。「お父さんありがとう。」

 

それから1年近く経ったある日の夕暮れどき。病院の面会室で二人っきりで母と話をした。「今日はお父さんの命日だね。お父さんに会いたいな。」ぽつりと母に呟いた。それを聞いた母も頷いた。「お父さんに会いたい?」母に聞いてみた。父のことを話すのは何年振りのことだろう。「うん、会いたい。そりゃ、会いたいよ。」母は泣き出してしまった。80歳を過ぎ、すっかり痩せて小さくなってしまった母が父に会いたいと泣く姿にボクも涙が止まらなかった。

 

もういい、今度お母さんに何かあったら、お父さんのところに行かせてあげよう。そう思った。

 

そして翌年の秋に母は亡くなった。午前4時過ぎに病院から電話が入った。「お母さんの呼吸が止まったので、今すぐに病院に来てください。」急いで駆けつけた時、母の上に看護師がまたがって心臓マッサージをしてくれていた。それでも、母の心臓が再び自律鼓動することはなかった。

 

こうしてボクの母子家庭生活は終わった。本当に長い長い母子家庭生活だったと思う。父と過ごしたのは1歳8ヶ月間だった。人生の大半を母子家庭として過ごしたことになる。

 

それよりも、ボクは父のことを全く知らない。写真でしか見たことがない。今でも父に会いたい気持ちに変わりはない。このことがボクの人生に大きな影を落としている。

 

今どきシングルマザーは珍しくない状況だ。でも、そのうちの多くは離婚による母子家庭である。厚生労働省が発表しているひとり親世帯になった理由別の世帯構成割合によると、昭和58年当時は36%だった死別母子家庭が平成23年には7.5%に低下している。ひとり親世帯の数は増え続けている。それは離婚が増えているからである。

 

同じ母子家庭であっても、子どもの視点から見れば、死別と離婚では見える世界が全く違うと思う。

 

次回のブログでは、この辺のところを書いてみたい。

 

今日もお読みいただきましてありがとうございました。

 

この国に住むすべての母と子が豊かに幸せに暮らせることを願っています。