つらい出来事もパズルのピース

 3年近くブログの更新をしなかったけど、思うところがあって久しぶりに書いてみた。

 

 世界はコロナウイルスで一変してしまった。これから本当に第2波、第3波が来るのか。人類とコロナウイルスとの闘いは、果てしなく続くのか。世界は、まだまだ先が見えない不安の中にある。地震や台風などの災害以外にも、まるで災害と言えるような出来事が起こるもの。今回のコロナで失業された方たちも災害のようなものだ。

 

 人生とは、斯くも本当に色々な出来事が起こる。それも、ある日、予期せぬところから、突然にだ。誰が今のコロナ禍を予想しただろう。生きていれば、嬉しいこと、楽しいことばかりじゃない。悲しいこと、悔しいこと、そして時には愛する人との死別など絶望するようなことも起こるもの。

 

 不幸な出来事に遭遇すると、人は自分だけがつらいと思いがちだ。まるで抜け出せない迷路に迷い込んでしまったかのような悩みの日々が続くこともある。しかし、例えどんなに不幸な出来事だったとしても、その人が乗り越えられないような苦しみや悲しみを神様は与えないものだ。

 

 一見すると不幸な出来事も、人生という大きなパズルの中の一つのピースにしか過ぎないからね。つらい時には、つらいという一つのピースだけを見ているから、この先自分がどうなるのか見えなくて不安になるだけだから。つらいピースも自分の人生には必要なものなんだと受け入れ、立ち止まるのをやめて次の行動に移したとき、パズルの全体像が見えてきて、もしかすると濃淡のはっきりとした深みのある美しい絵が見えてくるのかもしれない。

 

 ボクはそう信じている。人生に無駄なピースなんてないんだよ。

 そんなふうに形づくられているのが人生ではないだろうか。

 

 

 

 

 

セミナービジネスの罠

数年前まで、ボクはセミナーに参加したことがなかった。

 

セミナーに参加することは、時間とお金の無駄だと思っていた。

子供の頃から読書が好きだったので、何か必要な知識を吸収しようと思ったら、興味のある分野の本を読めば済むと思っていた。

 

ところが本にCDが付いているものを買ってみたら、これが案外面白い。著名な著者の肉声を聞きながら本を読むと理解が深まるような気がした。そのうち、CDブックを買うようになり、ついにはセミナーの様子を収録したDVDを買って見るようになった。やっぱり、視覚からも情報が入るので、わかりやすいし、繰り返し見ることで著者本人と会ったような気持ちにもなれるし、何よりも内容を自分の中に落とし込みやすい。

 

そして、生の本人に会ってみたくなり、初めてセミナーに行ったのが今から3年ほど前のことだったと思う。内容は、スピリチュアル系のもので、セラピストなどで独立開業することを支援するようなものだった。申し込んだ時点でボクには関係ないようなものだと思ったけど、有名な本の著者に会ってみたかった。

 

スピリチュアル系を受講したのは一度だけで、その後しばらくはセミナーから遠ざかっていた。スピリチュアル系のセミナーは若い女性の参加者が多く、何となく男性が参加することに気後れを感じていたからである。

 

ところが、2年前に母が死んでから再びセミナーに参加するようになった。内容は心理学系のものを中心にしたが、寂しさを紛らわせたかったからセミナーに行ったというのが本当の参加理由なのだと思う。新しい刺激も欲しかった。

 

それから1年ほどの間に300万円以上のお金をセミナーに使い、自己投資した。安いフロントセミナーに参加すると高額なバックエンドセミナーを勧誘される仕組みになっていることに気付かず、手当たり次第に受講した。講師に誘導されるまま、いくつかの高額なセミナーも購入し、受講するようになった。

 

いつしかセミナーに参加すること自体が目的になってしまった。セミナー会社によっては、ジャンルの異なるセミナーをいくつか用意して、次から次へと受講させるようなものがあったり、年間パスポートを用意してリピーター客を確実に集めるようにしていたり。あるいは再受講という名の下に実質的にはスタッフの仕事をさせていたり。中には最初からフォローアップセミナーが付いているのだが、それは別料金だったり。本当に様々な仕掛けが用意されている。正にセミナービジネスの罠だ。

 

セミナーに参加すると得られるあの高揚感、幸福感は素晴らしい。最近のセミナーは受講生同士でシェアさせるシェアタイムを取り入れているところが多い。不思議なことにシェアをすると親近感や仲間意識が湧いてくるし、ワークをすれば達成感を味わえる。自分にも何かできるのではないかと思わせるものがある。でも、そんな高揚感も数日もすれば元に戻ってしまう。どうやらセミナーには、ある種の脳内モルヒネを分泌させる力があるようだ。これにハマると参加することが癖になってしまう。他の参加者を見ていると、それほど収入も高くないのに高額なセミナーを借金してまで購入してしまう人が結構いる。それが現実だ。

 

では、どうすればいいのだろう。

 

続きは、次のブログに書きたい。

 

 

 

 

 

 

成功につながる読書の仕方

成功している人ほど多くの本を読んでいる。

 

本に限らず、セミナーや動画、さまざまな機会を見つけて学んでいる。

 

本は、少ない費用で大きな効果が期待できる。しかし、本を読んでもなかなか頭に入らなかったり、眠くなってしまったり、果ては買っただけで満足してしまうこともあるものだ。

 

小説が面白くなければ、本を閉じてしまえばいいかも知れないけれど、成功法則を学びたくて読んでいる場合は、簡単にギブアップするわけにはいかない。

 

そこで、これまでボクがいろいろな成功者から直接聞いた読書法について、紹介してみたいと思う。

 

まず、一つ目は脳を騙して本を読む方法である。

 

これは眠くなってしまう人には効果がありそうだ。人間の脳は喜怒哀楽の感情に反応しやすく、感情によって動かされることが多い。知識を仕入れるために本を読むときは、恋愛小説を読むときと違って感情が動くことが少ない。感動がないということは、脳は退屈になってしまう。そんなときでも、本を読むときの顔の表情が笑っていれば、嬉しいという感情に結びついていると脳が勝手に判断することになるから、眠くならないで本を読むことが可能になるというものだ。具体的には、口角を上げるだけでいい。割り箸を横にして、口にくわえながら本を読むといいと言っていた人もいるが、よだれが出てきてしまうこともあるので、あまりお勧めはできない。一番いいのは、作り笑いである。微笑み程度の笑顔でも十分に脳を騙す効果があるようだ。

 

二つ目は、効果的に本を読む方法である。

 

本は読むものですか?と問われたら、あなたなら、どう答えるだろうか。

 

答えは、本は読むものではなく、使うものだ。厚い本を重ねて踏み台に使うという話ではない。特に成功法則に関する本の場合、読んだだけでは全く意味がない。書いてあることを実践して、初めて効果的な読み方と言えるだろう。では、具体的にはどうするか?であるが、いつも手元に置いて何度も読み返すことである。大事な部分にアンダーラインを引いたり、付箋をつけておき、必要な時には読み返すことだ。本は一度読んだらおしまいではないのだ。実際にボクの場合、成功法則に関する愛読書がいくつかある。本は、バイブルのようにいつもそばにいてくれるメンターだ。あなたも、愛読書を持ってみたらいかがだろうか。

 

最後に三つ目は、積ん読!?である。

 

ある程度経済的な余裕がないとできないことかも知れないけど、気になった本は、まずは片っぱしから買ってみることだ。積ん読とは、その字の通り積んでおくだけのことである。これじゃ意味ないかも知れないと思うのは気が早い。自分にあった良書との出会いは、人生を豊かにしてくれるものだが、実際にその本が自分に必要かどうかはなかなかすぐにはわからないものだ。だから、とりあえず欲しいと思った本は手元に置いておき、必要な機会が来たら、すぐに読み始めるといいだろう。本棚にある蔵書の背表紙を眺めているだけで、読んだ気持ちになれるから不思議なものだ。

 

 

今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

運を味方にする簡単な方法

会社勤めの人が同期よりも早く出世したら、それは実力? それとも運?

 

レストランを経営している人が連日満席になったら、お店の評判? 単なる運?

 

投資でうまくいったのは、事前の調査が良かったから、それは才能? 時の運?

 

運とは何だろう。それは、めぐり合わせ。

 

サイコロを振った時に、1が出るか、2が出るか。運とは単なる確率の問題なのか。いや、そうではないだろう。

 

運とは、運ぶこと。物を移動させる、動かす。そうなると、運とは現状から物事を動かす意味にも繋がるかも知れない。

 

では、運がいいとか、悪いとかを判断あるいは評価するのは誰だろうか?

 

自分、または他人だ。自分一人だけの時もあるだろうし、大勢の人と共有する運もあるだろう。

 

いずれにしても、決めるのは人間だ。ということは、人間の判断 = 曖昧さがあるということ。絶対的な評価ではないということだ。

 

例えば、落し物をしてしまったが、拾ってくれた人が意中の男性だったので、それをきっかけに付き合うことになったという話があったとしよう。

 

この場合、運がいいのか、悪いのか。少なくとも落し物をした時点では、運が悪い。拾ってくれた人がいたことは運が良い。でもその男性と結婚したら、将来どうなるかはわからない。もしかするとDVをするような人かも知れない。もしもそうだったとしたら、落し物を拾ってもらったことさえも、運が悪かったということになってしまう。

 

このように起きた出来事をネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかで全く違ってしまうのだ。

 

逆に言えば、運は自分で動かすことができる。例え、つまずいたり、転んだりしても、ただでは起きないと思えば、何かをつかむことができるはずだ。

 

最悪に見えた出来事も、後から振り返ってみると、あの時があったからこそ今があるというようなことは往々にして聞く話だ。

 

人は自分の運に気がつかないことが多い。例えば、日本では総理大臣のことを批判しても逮捕されない。安倍首相の悪口を書いたところで、検閲されることもない。ところが北朝鮮で同じように金正恩委員長のことを批判したらどうなるだろう?

 

北朝鮮だけではない。世界には国のトップを自由に批判できない国は多い。中国もそうだ。ところが、日本でも先の大戦終結するまでは軍国主義だった。少しでも国を批判したら、非国民扱いされたり、憲兵隊に通報されたのだ。

 

いま、この時代のこの国に生まれ、生きているだけでも、めちゃめちゃ運がいいではないか。戦後生まれの日本人がまるで当たり前のようになっていることでも、実は当たり前ではないことが多い。

 

だから、運を味方にする方法は、誰が何と言おうと自分は運がいいと決めることだ。何か良くない出来事に直面しても、自分の捉え方次第で良くも悪くもなるということを理解しておくこと。そうすれば、どんなに悪いように見えることでも、考え方ひとつで自分の味方にすることができるのだから。

そして、運を味方にする一番簡単な方法は、すでにある運に気づくこと。案外、気がつかないものだ。自分は運が悪いからと言わずに周囲を見渡してみよう。運がいいと思えることを紙に書き出してみるといい。実は、こんなにも恵まれていたのだと思い、驚くかも知れない。運の良さに感謝することで運の神様は喜んで、さらに良い運をあなたに運んでくれることだろう。

 

 

今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

夜明け前が一番暗い

長く生きて入れば、本当にいろんなことがあるものだ。

 

リストラ、給料カット、左遷・降格、出向・転籍などは自分なりに回避策を考えることはゼロではない。だが、倒産・廃業ともなると自分の力だけではコントロールできない。

 

経済的な自由を手に入れようと、一旦心に決めたなら、やり抜く力が必要だ。

 

やり抜く力は、一人では得にくいもの。孤軍奮闘では難しい。人は、そんなに強くないからだ。

 

そういう時こそ、家族の力は大切である。もちろん、彼氏、彼女など、恋人、親友の存在も大事だと思う。

 

要は、メンタルの強さがすべて。

 

では、メンタルを保つにはどうしたらいいのか。そんな時に大切な言葉がある。

 

それは、夜明け前が一番暗いということ。

 

いま何かで行き詰まっていたり、困っていたとしても、ましてや、それが絶体絶命に見えたとしても、諦めない心が大切だ。

 

「2匹のネズミがクリームの入ったバケツに落ちてしまった。1匹のネズミは諦めて溺れてしまったけど、もう1匹は諦めずに必死にもがいたところ、ついにクリームがバターになってバケツから這い出すことに成功した。」

あるセミナーに参加した時に教えてもらったキャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンという伝記映画のワンシーンの言葉である。

 

何か困ったことがあった時には、あまり落ち込まない方がいい。

当事者意識を持つことは危機管理上も必要なのだけれど、問題が大きければ大きいほど、その問題を抱えている自分自身から一歩引いて客観的に見た方がいいのだ。

 

以前のボクは、時々意味もなく落ち込んだり、イライラしたりする時があった。自戒の意味も込めて、自分を客観視することは大切だと思う。メンタルが維持できなくなって、心の病を抱えてしまう人がいかに多いかだ。

 

そのためには、仕事をしているときでも遊び心が何より大切である。張り詰め過ぎは良くない。

リラックスしながら頑張るくらいの気持ちの余裕を持つことだ。

 

働き過ぎは良くない。遊び過ぎもまた良くない。

何事もほどほどが丁度いい。

 

 

今日も、お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

人は死んだらどこに行くのだろう

例えあなたがどんなにお金持ちでも、墓場にお金を持って行くことはできない。

ましてや、あの世に持って行ったとしても、お金は使えないだろう。

 

この世は物質の世界だから、お金が必要である。

あの世は精神の世界だから、お金は必要ない。

単純明快な話だ。

 

死んだ人と話をした人はいない。

まさに死人に口なしである。

 

では、死者との交流はできないのだろうか。

霊媒師という人がいる。恐山のイタコもいる。果たして、本当に死者との会話が成立しているのだろうか。ちょっと疑問符がついてしまう。

 

ところで、ボク自身の体験からすれば、死者には言語によるコミュニケーション能力はないような気がする。感覚的なものだけれど。死んだ人と話せるものなら話してみたいのだが、正確に言葉を伝え合うことはできないと思っている。でも、ある種の感情は伝え合うことが可能なのではないかと思っている。

一番伝わる感情は、感謝である。

 

感謝の気持ちは、死者に伝わるような気がするのだ。毎日、ボクは仏壇に感謝の気持ちを込めて手を合わせている。時々、伝わっているなと思う時がある。

 

逆に死者からの感情は何があるだろうか。

一番多いのは、寂しさの感情だと思う。

 

かれこれ、10年近く前のことだが、ボクが不動産投資をすることになったきっかけを与えてくれた叔母がなくなった。

幼い頃に父を亡くしたボクのことを叔母はいつも心配してくれていた。不動産投資を始めようかどうか迷ったいたボクに「男なんだから、勇気を持ってやりなさいよ。」と叔母は背中を押してくれたのだ。そのおかげで、ボクは不動産投資家として生活することができるようになった。

 

叔母が亡くなってしばらく経ってからのことだ。自宅の書斎の椅子の背もたれに寄りかかってうとうとしていたある日のことである。何者かがボクの体の中に入ってきたのがはっきりとわかった。最初は誰だかわからなかったけど、すぐにそれが叔母だとわかった。そして、その時の叔母の感情が痛いほどボクに伝わったのだ。その感情は、「寂しい。」である。

 

他にも死んだ人が夢に出てくることがある。むしろ、よくあることに思う。

でも、それは夢は夢であり、死んだ人そのものが現れているのではない。

そのことがわかっていても、夢で会えると嬉しい。

 

さて、今日の本題である「人は死んだらどこに行くのだろう」だが、どこにも行かない。ずっと、愛する家族、あなたのそばにいる。ボクは、そう信じている。

 

今日も、お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

富の源泉はどこにある

金銭的に豊かになりたいのなら、まず自分の心を豊かにすることから始めなくてはならない。

 

自分の心を豊かにするということは、自分のことを大事にするということ。

 

自分を粗末にしていては、豊かになることはできない。仮に一時的に豊かになれたように見えても、必ず元に戻ってしまうだろう。

 

しかし、自分を大事にすることは難しい。ではどうしたら自分を大事にすることができるのだろう。

 

1番の近道は自分を好きになることである。これまた難しいことかも知れない。

 

多くの人が自分を好きになれない。その理由の一つ目は心の奥深くに入り込んでしまった完璧主義である。これが邪魔をしているからであり、もう一つは他人の目を気にすることだ。心のどこかで自分は完璧でなければならないと思っている。完璧でない自分が許せない。また、他の人のことを気にし過ぎたり、あるいは他の人と自分を比較して自分は劣っていると決めつけてしまう。

 

完璧主義は、もうやめよう。私たちは神ではない。人間なんだ。間違いもあるし、できないことがあって当然なんだ。

 

他人の目も気にしなくていい。人は人のことを案外見ていないものだ。見ていたとしても、単なる暇つぶしなのだ。時には、あなたのことを悪く言う人たちもいるだろう。でも、悪口は確実に言った人に帰ってくる。悪口とは無責任なものだ。人の心を傷つけ、相手の苦しみを自分の喜びにしようとするものなのだから、そんなものは基本的に無視していればいい。本当に戦う必要がある時にだけ、戦えばいいのだ。

 

完璧主義をやめるコツは、自分を許すこと。

自分はなんてダメな奴なんだ!と思ったら、自分を責めたり、自分を突き放してはいけない。ダメな自分を認め、許すことで、完璧主義から抜け出せる。どうしても許せない時は、許せない自分を許そう。

 

ナルシストという言葉に対して、あなたはどんなイメージを持っているだろうか。

ネガティブなイメージを持っている人が多いのではないだろうか。

人前で自分が好き!なんて言ったら、ナルシストだ!と批判されるかも知れない。

 

もちろん、人前で言う必要はないし、極端なナルシストは自己愛性パーソナル障害が疑われるので、ほどよいナルシストになろう。我田引水型ではなく、利他共生型のナルシストだ。

 

今やSNSでは自撮り文化が華やかである。ちょっと有名な場所、珍しいものと一緒に自分が写っている写真を投稿することで注目され、承認欲求を満たすとともに、ナルシスト的な満足感も得られるのだ。さりげなく自然な形で表現すれば、ナルシストも社会で認知されているのである。だから、今では決してネガティブな言葉ではないと思っている。自分のことが好き!それで良いではないか。

 

では、自分を好きになって、自分を大事にできたら、それだけでうまくいくのかというと、もう一つ大切な要素がある。

 

それは、自分を取り巻く人たちや周囲の環境、すべてに感謝の気持ちを持つことだ。

これが実に難しい。

 

あの人には感謝しているけど、この人には感謝できないということはないだろうか。一番多い問題は、親子関係である。親のせいで私はこうなったとか、親がこうだったからとか、親に対してマイナスのイメージを持っている人は案外多い。

 

実はボクもそんな時期があった。でも、自分でも子を持つ親になってみると、親も大変だったのだとわかるものだし、親のダメな部分は反面教師にすればいい。

 

この時代、この国に生まれ、そして生きていること。政治、経済などの環境にもいろいろな要素はあるけれど、まずは一旦すべてを受け入れ、感謝してみる。それから、自分なりの認識を持てばいい。社会に対する批判ばかりをしていると、感謝の気持ちを持てなくなってしまうからだ。

 

今日もお読みいただきまして、ありがとうございました。